忘れもしない私の交通事故体験は、もうかれこれ25年以上前の話になります。
現在、私は50歳を過ぎましたが、当時はまだ20代中盤で大学卒業してから電機メーカーで勤務しており、日々電気電子系エンジニアとして新製品開発に勤しんでいました。
その朝も前の晩は午前様で、数時間睡眠を取っただけで、会社に出掛けるところでした。
でもこんな日が毎日続いていて多分疲れが溜まっていたのだと思います。なかなか起きることが出来ず、それでも何とか疲れた身体にムチを打って起き上がり、社会人になって初めて購入した愛車の日産ブルーバードSSSに乗り込みました。何となく頭はぼーっとしていました。
それでも時間を見ると7時を過ぎたばかりで、会社までは普通は30分で着きますが、朝は7時すぎると出勤ラッシュで国道が動かなくなるので、普段は6時半前に自宅を出ていましたが、その日は完全に寝坊してしまいました。仕方ないので当時よく使っていた裏技で高速道路を使うパターンがあり、これなら15分程度で到着するので余裕だと思っていました。そして普段とは異なる高速道路を使うルートで会社に向かいました。
今にして思えば、やっぱり普段と違うことをすると問題は起きやすいのかなと感じています。そして、その早道コースを使っても高速のインターに入るまでは鬼の様に混んでいて、少しイライラしていました。そしてその時が来ました。
普段から私はアクセルとブレーキの踏み間違えが怖くて、前の車両との間を広めに取る癖があり、それが裏目に出ました。と言うのも、高速インターの入り口に差し掛かる直前の片側二列の大きな交差点で直進しようと交差点内に入った時、私の広めに開けたそのスキマに右折車が無理矢理進入して来たのです。
もう焦りまくりダメだと思いながらブレーキを踏み続けました。結果、やはり間に合わず相手のTOYOTAクラウンの右後方部に正面衝突事故を起こしてしまいました。そして、ハンドルから我が人生でも最初で最後となったエアバッグが飛び出してもう目の前は真っ白になり、気絶したまま救急車に運ばれて、その後の記憶は定かではありません。
病院で目を覚ましましたが、案外、外見的には問題なく、事故ではよくある首の頚椎捻挫打撲で済みました。それから半年程度、病院に通って首の痛みを治しました。我が愛車の日産ブルーバードSSSは完全にボンネットが破壊されて廃車となり、相手のTOYOTAクラウンもサイドが凹んだ程度でドアを付け替えて済んだと言う事でした。
事故割合は右直事故なので、私が3割、相手が7割となりました。とりあえず命拾いしたと実感した忘れられない人生最大の事故となりました。この事故から1年間は恐怖が残り、車の購入も運転もやめました。
この事故から得た教訓としては、急いては事を仕損じること、人生は諦めも肝心だと言う事、つまり遅れたなら慌てず遅れることを伝えれば良かったと反省し、その後の人生に活かしています。何事も無理は禁物ですね。